仙巌園に行ってきました。 No1
鹿児島県鹿児島市にある、仙巌園に行ってきました。
写真が多いので、中3日空けて3回に分けて紹介したいと思います。
今回1回目です。
仙巌園の近くには石碑がありました。


磯海岸に突っ立った煙突
-日本紡績業の誕生地-
近代的な紡績工場を建設する事は、島津家第28代藩主斉彬
、第29代忠義の二代にわたる悲願でした。
1865年(慶応元)藩の使節並びに留学生19名をイギリス
に派遣する際、忠義は新納刑部、五代友厚らに命じて、紡績機械
の購入と技師を招く交渉にあたらせました。そして、1866年
(慶応2)11月、司長のイー・ホームが到着、工場建設に着手。
翌年には技師7名がそろい、鉄柱で支えられた石造り平屋建ての
洋式工場で操業を始めました。
以下省略(立て看板より)
ここから、日本の紡績は始まったんですね。
ではさっそく、仙巌園の中へ・・・
入館料を購入し、撮影の確認をしたら・・・
「建物の外観・風景は構わないが、建物内部の展示品の撮影はご遠慮
願います。」との事!

そして・・・仙巌園を紹介していきます。
昨年来た時は、鎧を着けた人達がいましたが今回は、
いませんでした。(試着させてくれたらおもしろいのに・・・)
そして、入口付近には色々展示してありますので、動画で・・・
☆自分の影が写っておりますが、ご了承下さい。
最後の船”昇平丸”の中が気になったので・・・

昔の軍艦といった感じです。
先に進んで・・・お土産品売り場がありました。

土産品売り場も、昔の造りをしています。
先に進んで・・・
島津家の家紋です。

さらに進んで、ここは大河ドラマ”篤姫”で撮影された場所
のようで、パネルがありました。(正門です。)

そして正門を過ぎると、次は”錫門(すずもん)”があります。

十九代島津光久の時に建てられたそうです。
ちょっと写真が多くなってしまったので、今日は
ここまでです。
続く・・・
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写真が多いので、中3日空けて3回に分けて紹介したいと思います。
今回1回目です。
仙巌園の近くには石碑がありました。


磯海岸に突っ立った煙突
-日本紡績業の誕生地-
近代的な紡績工場を建設する事は、島津家第28代藩主斉彬
、第29代忠義の二代にわたる悲願でした。
1865年(慶応元)藩の使節並びに留学生19名をイギリス
に派遣する際、忠義は新納刑部、五代友厚らに命じて、紡績機械
の購入と技師を招く交渉にあたらせました。そして、1866年
(慶応2)11月、司長のイー・ホームが到着、工場建設に着手。
翌年には技師7名がそろい、鉄柱で支えられた石造り平屋建ての
洋式工場で操業を始めました。
以下省略(立て看板より)
ここから、日本の紡績は始まったんですね。
ではさっそく、仙巌園の中へ・・・
入館料を購入し、撮影の確認をしたら・・・
「建物の外観・風景は構わないが、建物内部の展示品の撮影はご遠慮
願います。」との事!

そして・・・仙巌園を紹介していきます。
昨年来た時は、鎧を着けた人達がいましたが今回は、
いませんでした。(試着させてくれたらおもしろいのに・・・)
そして、入口付近には色々展示してありますので、動画で・・・
☆自分の影が写っておりますが、ご了承下さい。
最後の船”昇平丸”の中が気になったので・・・

昔の軍艦といった感じです。
先に進んで・・・お土産品売り場がありました。

土産品売り場も、昔の造りをしています。
先に進んで・・・
島津家の家紋です。

さらに進んで、ここは大河ドラマ”篤姫”で撮影された場所
のようで、パネルがありました。(正門です。)

そして正門を過ぎると、次は”錫門(すずもん)”があります。

十九代島津光久の時に建てられたそうです。
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