仙巌園に行ってきました。 No3
鹿児島県鹿児島市にある、仙巌園に行ってきました。
続きの記事で、今回3回目(最終章)です。
この橋は”篤姫”で観たシーンです。

☆クリックにて拡大表示
では、実際の橋を観てみましょう。

ここを”宮崎 あおい”さんが通ったんですねー
そして、ここには茶屋も再現してありました。

そして少し先に進んで・・・
迫ン太郎(さこんたろう)という物が・・・

迫ン太郎とは、谷水の流れを利用した米つき機の一種で、精米機
のなかった頃、もみや玄米を精米する時に利用していました。
以下省略 (立て看板より)
昔の人はよく考えたものです。
では、この辺の風景を動画で・・・
けっこう綺麗で、江戸時代そのままといった感じです。
そして次は”濾過池”(ろかち)です。

濾過池
この濾過池は、線尋巌(せんじんがん)方面から水道石管を伝って流れて
くる水を濾過するために建てられたものです。明治40年(1907)7月
13日着工、9月13日竣工しました。設計者・施工者は不明です。
以下省略 (立て看板より)
そして・・・先に進んで”反射炉”です。

反射炉の建造と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、島津斉彬に大きな
衝撃を与えました。嘉永4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、
日本が西欧諸国の植民地にされるのではないかという危機感を抱き、海洋
に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の
近代化と産業育成に注ぐべきだと考えました。
以下省略 (立て看板より)
何か石でできた、頑丈な装備です。
そして、離れに・・・国指定史跡 集成館跡 -日本初の工場群-
があります。

この館内は撮影禁止です。
島津家に関わる遺品や、工場機械など数多く展示してあります。
この仙巌園は他にも観るところがいっぱいありますので、鹿児島
へ来た際は、是非お立ち寄り下さい。
以上で仙巌園は終わります。
↓ ↓ ↓ ↓
[Ctrl]+クリックにて全ポチできます。

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続きの記事で、今回3回目(最終章)です。
この橋は”篤姫”で観たシーンです。

☆クリックにて拡大表示
では、実際の橋を観てみましょう。

ここを”宮崎 あおい”さんが通ったんですねー
そして、ここには茶屋も再現してありました。

そして少し先に進んで・・・
迫ン太郎(さこんたろう)という物が・・・

迫ン太郎とは、谷水の流れを利用した米つき機の一種で、精米機
のなかった頃、もみや玄米を精米する時に利用していました。
以下省略 (立て看板より)
昔の人はよく考えたものです。
では、この辺の風景を動画で・・・
けっこう綺麗で、江戸時代そのままといった感じです。
そして次は”濾過池”(ろかち)です。

濾過池
この濾過池は、線尋巌(せんじんがん)方面から水道石管を伝って流れて
くる水を濾過するために建てられたものです。明治40年(1907)7月
13日着工、9月13日竣工しました。設計者・施工者は不明です。
以下省略 (立て看板より)
そして・・・先に進んで”反射炉”です。

反射炉の建造と集成館の設置
アヘン戦争で中国がイギリスに敗れたという情報は、島津斉彬に大きな
衝撃を与えました。嘉永4年(1851)、薩摩藩主となった斉彬は、
日本が西欧諸国の植民地にされるのではないかという危機感を抱き、海洋
に多くの領地を有する薩摩藩こそ、「大砲と船」に象徴される軍備の
近代化と産業育成に注ぐべきだと考えました。
以下省略 (立て看板より)
何か石でできた、頑丈な装備です。
そして、離れに・・・国指定史跡 集成館跡 -日本初の工場群-
があります。

この館内は撮影禁止です。
島津家に関わる遺品や、工場機械など数多く展示してあります。
この仙巌園は他にも観るところがいっぱいありますので、鹿児島
へ来た際は、是非お立ち寄り下さい。
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